本田 宗一郎(ほんだ そういちろう)
本田技研工業株式会社の創業者です。1906年に鍛冶屋を営んでいた本田 儀平の長男として生まれました。幼い頃からやんちゃに育ち、飛行機や車が好きだったようです。高等小学校卒業後、東京の自動車修理工場に丁稚奉公に出ました。そこで自動車に関する知識と技術を身に付け6年後、地元、静岡にのれん分けの形で独立して支店を持ちました。1937年に東海精機重工業株式会社の社長に就任し、浜松高等工業学校の機械科に聴講生として入学し、3年間学問的な基礎から勉強をし直したのです。順調に経営を進めてきましたが、1945年に三河地震により東海精機重工業浜松工場が倒産し、経営難に陥ったこともありましたが、従業員の士気高揚をはかりながら立て直したのです。また、本田 宗一郎は会社を親族で固めることに反感を持っていたため、あえて息子を会社に入れることはしませんでした。それでも長男である本田 博俊は川本 信彦らと1973年に株式会社無限を創設したのです。