井上 馨(いのうえ かおる)
明治・大正期の武士であり、政治家・実業家です。1836年に長州藩士・井上 五郎三郎光享の子供として生まれました。藩校明倫館に入学した後、蘭学を学び江戸遊学中の高杉晋作らとともに、尊王攘夷運動で活躍しました。イギリス公使館の焼討ちに参加するなどしたのち、伊藤 博文らとともにイギリスへ密航しますが、途中で国力の差を目の当たりにすると開国論に転じたのでした。急遽帰国し、和平交渉に力を注いだことで俗論党に襲われ命を落としそうになりましたが所 郁太郎の手術を受け、一命を取り留めました。1876年特命副全権大使として日朝修好条規の締結に関わりながら、三井を始めとする実業界との繋がりを大切にし、鉄道事業などにも協力しました。華族令で伯爵、侯爵となり、三井財閥の最高顧問になるなど実業家としても地位を確立していったのです。内閣総理大臣に就任する予定もありましたが、政局の運営に見通しが立たないことを見抜くと、辞任したのです。